にしゃんた の生い立ちを紙芝居でご紹介いたします!

つくろう!新しい答え。

「ええやん」を送る

子どものころ それはそれは 天使のような かわいい 子どもでした

その子どものころ にしゃんた が大好物だったのは
お母さんが作ってくれた バナナの葉っぱに 包まれたお弁当

そして その にしゃんた 幼稚園の頃なんですけれども
なんと 幼稚園まで 牛車に乗って通っていました
そして なんと ゾウを数えるのが日課だったんですね

そして そんな にしゃんた が1987年
スリランカ代表のボーイスカウトとして
はるばる日本へやってきました

そして 日本へやってきた にしゃんた
その目に映るものはキラキラした街の人々の笑顔
その姿に憧れました

そして帰国した にしゃんた の頭の中は
日本への憧れでいっぱい
ああ また日本へ行ってみたいな

日本へ行きたかった にしゃんた
そんなとき 父親が家を担保に作ってくれた7万円と
片道切符の航空券を手に日本へ向かいます

そして立命館大学時代
新聞奨学生として働いておりました
何とこれは 留学生初何ですね 新聞奨学生

他には空手を学び 4段を取得

そして さまざまな弁論大会で優勝し
付いたあだ名が スピコン荒らし

そして 学部総代として 紋付き袴姿で卒業式へ

それから およそ10年の時が経ち

にしゃんた はそれからも しっかりと勉強を続け
大学の先生の頃に何と 日本国籍をついに取得へ

にしゃんた にある転機が訪れます
結婚 そして わが子の誕生

そして2010年 にしゃんた は
羽衣国際大学の教授になりました

そんなある日 1人の生徒が にしゃんた のもとを訪れました
奨学金をもらっていたんですけれども
学費を払えず 大学を去ってしまいました

なぜ こんなに暗い国になってしまったんだろうか
街ゆく人々は みんな暗い顔をしている
元気がない

何十年前 自分が日本に来たときは違った
みんな キラキラ キラキラ 輝いていた
笑顔だった

そこで にしゃんた は退路を断って立ち上がった

そして 解決するために
にしゃんた は にゃん太 とともに大阪中を駆け回ります

日本を再び豊かにするために 本当の意味での共存
共笑(ともえ) 共に笑える そんな すてきな日本にするために
私は共に笑える日本を目指します!

紙芝居制作:紙芝居屋のガンチャン

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